←コラムトップへ
僕が大学生の時。知り合いにどうしようもなくだらしの無いオジサンがいた。
オジサンって言っても当時まだその人は30歳前後だったと記憶しているので、「オジサン」っていうのも酷だけど、その当時の僕には充分オジサンに見えたのだ。
その人をSさんとしよう。

Sさんはいい歳なのに定職についておらず、アルバイトを転々としながら食いつないでおり、当然の如くいつも貧乏をこじらせており、僕らのような若い学生にすら「悪ぃ・・・ちょっと金借してくれへんかなぁ」と済まなそうに2〜3千円の細かい借金をし、その上その金はあまり返されることもなかった。
まるで映画「十九歳の地図」に出てくる蟹江敬三そっくりのダメ中年だったのだ。

どうしてピカピカの大学生がそんなオジサンと知り合いだったのかは長くなるので割愛するけれど、僕は案外Sさんのことは嫌いじゃなかった。
ちょっとだらしないけど人は悪くなかったし、それなりに自分の範囲内では面倒見もいい人だったのだ。

それと一つだけ僕とSさんとの共通点があるとしたら、Sさんもバイク乗りだったことだ。
Sさんは当時でももう骨董品に近いホンダのXL250Sに乗っており、その頃DT50に乗っていた僕からしたら「憧れの中型オフローダー」だったのだ。
Sさんはそのけっしてキレイとは言えないXLを結構なところまで自分で整備しながら乗っているようだったが、Sさんのバイクに関する知識というのはどうもそのXL,しかもその個体に限られているようで、全くのバイク初心者の僕からしても、バイク乗りとして無条件に尊敬するべき対象なのかどうか微妙なところだった。

しかしバイト先の社員などにいがちな「お前ら人生は競争なんだよ分かってるのかお前らついてこられないヤツはダメなんだダメダメ」的エネルギッシュ男がとても苦手だった僕にはSさんのユルさと波長があったのかもしれない。

僕らはお互いにちょっとユトリがある時なんかは他の仲間も誘って映画を観に行ったりもしたんだけど、例えば「必殺仕事人」なんかを観た後に飲みに行ったりすると、Sさんは焼き鳥の串を「ピキーーン!」と効果音付きで振り回して笑ったりしていて、まぁ何と言うかそういう無邪気っていうか可愛らしいところがどうにも憎めず、少々貸した金踏み倒されても僕はSさんといると結構楽しかったのだ。


そんなある日。9月のまだ暑いよく晴れた日。

僕はSさんにアルバイトを頼まれた。

Sさんはその頃焼き芋屋を生業としていた。
今もって焼き芋屋さんのシステムの正確なところは知らないんだけど、どうもあれはイモなどの原材料は買い取りで、売上からトラックなどのレンタル量を差っ引いたものが自分の手取りになるようだ。
それ以外にそれほど縛りもなく、固定給が無い代わりに売れれば手取りは増えるわけで、割と自営に近いスタイルだったのかもしれない。

焼き芋屋さんは基本的に軽トラ一台に人間一人なんだけど、Sさんに割り当てられたトラックにはテープ再生機が装備されておらず、アナウンスはドライバーが兼任するようになっていた。
別にそれで問題無いんだろうけど、Sさんはヒマそうな僕をそれに誘ってくれた。
まあ少しお小遣い稼ぎさせてあげようか、という親切心もあっただろうし一人じゃちょっと寂しかったのかもしれない。

当日、焼き芋屋の元締めのようなところでトラックを借り出し、芋の準備を終えたSさんは外で待っていた僕を拾い助手席に乗せた。

助手席には休憩時間に読むのであろう数冊のバイク雑誌が転がっていたのだが、そんな雑誌類に混じって、いかにも紙質の悪そうな新聞が無造作に挟み込まれており、その怪しげな新聞には「世界同時プロレタリアなんとか」とか「三里塚二期なんとか」とかそんな文字が躍っていて、僕はそんなところにちょっとだけSさんの秘密を垣間見たような気がするんだけど、Sさんは「ハハハ。ごめん散らかってて」とバサバサとそれらをグローブボックスに放り込んでしまったので、僕もそれ以上は特に気に留めないようにすることにした。

Sさんは車を発車させると「藤森クンは今日は横で『い〜し〜やぁ〜き〜ぃも〜』とアナウンスしてくれれば後はいいからサ。一回見本見せるわ」と言うと朗々と「い〜しや〜きぃも〜オイモ」とマイクに向かって唸った。

「ホレやってみ」とマイクを渡される。

「んん・・んっ!」と唾を切ると僕もマイクに向かい唸る。
「い〜〜しぃや〜〜〜きぃも〜〜〜〜・・・・オイモ」

Sさんがすかさず「うまい!」と合いの手。

僕は笑い出しそうなのを堪えながら「や〜きいも〜」と続けた。

そのうち段々慣れてきて
「お子様のおやつに〜おばあちゃんのお茶請けに〜おいしぃ〜石焼き芋はいかがですか?」などと勝手にアレンジしてアナウンスを続けた。

Sさんは横でアハハと笑いながら車をゆっくりと進める。

しかしそれにしたって外はまだ真夏と変わらない暑さなのだ。

石焼き芋が真昼間からそれほど売れるとは思えない。
何でも大体の焼き芋屋の元締めは8月まではわらび餅屋をやっていて、9月からその軽トラを焼き芋屋仕様に変えるそうだ。
いわばシーズン初っ端というわけだ。

午前中は一つの芋も売れずに僕らは昼飯のために小さい食堂に入った。
昼飯のうどんはSさんが奢ってくれた。

午後からはやみくもに走り回らず、街の児童公園の横のスペースなどに車を止め、そこでアナウンスした。

時々アナウンスしながら車の中でSさんととりとめの無い会話をした。
Sさんは自分の経歴的なことはほとんど喋らなかったけど、若い頃から日本全国ほとんどをオートバイで旅をしていたようで、その時の思い出話をする時は本当に楽しそうだった。

「また北海道行きたいなぁ」と窓の外を見上げているSさんの横顔を見ていると、それが今のSさんには叶わない願いであることが僕にも分かった。
恐らくその事情はさっきグローブボックスに放り込まれた物と無関係では無いんだろうけど、人にはそれぞれ事情があって、その中には他人に触れて欲しくない性質のものもあるのだ・・・という配慮が出来る程度には僕も大人になっていた。

しかしそんな僕の想いを知ってか知らずか、当のSさんには焼き芋が売れないことへの焦った様子など微塵もなく、ときどき居眠りなんかもしている。
車窓から乗り出すと夏の残り香のような太陽が頭上にあった。

それでも夕方になるとボチボチと芋を買いにくる人が現れ僕は驚いた。
客の年齢層はバラバラだったけど、100%女性だった。
焼き芋屋さんなんて最近始めたくせに、蟹江敬三ばりのダメっぽい風貌のSさんが
「あ・・そっちの芋はまだ早いでぇこっちの方が美味いわ」とか近所の奥さん風の人とやり取りしているのを聞くと、「イモのことならオッチャンに聞いてや!」といういかにも「オレこの道25年だもんね」風の堂々たる焼き芋屋さんに見えてくるから不思議だ。

僕は笑いを堪えながら夕方の住宅街にまた「や〜き〜いも〜」と唸った。

その日の売上は大体1万円くらいだった。
そのうちSさんの取り分がどの程度かは分からないけど、僕にはバイト代として3千円くれた。

それじゃぁSさんの取り分なんてほとんど無くなっちゃうんだろうけど、金にだらしないくせにそういうところのセコさがなく、その辺がSさんがあまり憎まれない理由なんだろう。


特にドラマチックなことは何もない一日だったけど、なんだか忘れ難い10代最後の夏の終わりの出来事だったのは確かだ。

結局Sさんとの「いつか一緒にツーリングでも行こうよ」という約束は果たされることはなかった。
9月の空と焼き芋屋