その7 製作中
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うどんの国の青春編 その6 「始動」
「その5」はちょっと本筋から脱線しましたね。

ま、時々はこんなエピソードも織り交ぜていきたいと思います。

さて、高松店に赴任してまず僕が手をつけたのが「店頭在庫の増量」です。
これまでも繰り返してきましたよう、高松店はとても小さなお店ではありましたが、それを差し引いても在庫量はかなり少な目でした。
狭い店内にも関わらず商品の置いていない隙間が目立ちました。

これはもう閉店の近いFC店では必ず見られる現象でして、売上が厳しいので仕入れを絞る、仕入れを絞れば店頭の在庫が減る、店頭に在庫が無ければお客さんだって来店意欲を失う、そしてさらに売り上げ減、さらに仕入れを絞る・・・
この悪循環に一度陥ると容易に抜け出せません。

しかし直営店となればそういう「仕入れリスク」から開放されます。
直営店の在庫はその性質としてメーカーの在庫と同一なわけで、倉庫に寝かしておくんだったら店頭でお客さんの目や手で触れてもらった方がよっぽど売れる確率は高まります。
それにその当時の僕に「売上と仕入れのバランス」なんて知識はゼロなわけで、店のキャパが許す限り在庫を増やしました。

幸いなことに(同時に信じられないことでもありましたが)、本社からそういう「適正在庫量」についての指導やアドバイスは一切ありませんでした。

今と違って当時はメーカーでも在庫を多量に抱えており、定番品に関してはカタログに掲載されているアイテムのほとんどが即供給可能でしたし、
バイクブームの余波はまだ充分な熱を持っており、また世の中的にも業界的にも会社的にも「バンバン物を作ってバンバン売る」のが当時の経済原則の主流でした。
(それでもそれは「今と比べて」の話で、当時からクシタニは「シブい」とよく言われましたが・・・)

また時間だけはいくらでもありましたので、空いた時間はひたすらPOP描きをしていました。
学生時代のアルバイトなどではPOP描きなんてやったことはなかったのですが、これは案外自分の性にあっていたようで結構楽しく描きました。
一人で仕事をするというのは、案外自分の中の適正を見つける面ではプラスに働くことが多いようです。

在庫を増やしたことは元々よくご来店いただいていたお客さんには即反応がありました。
「お!?何だかモノが増えたな」とよく言っていただきました。

しかし、今度は棚やラックが足りなくなってきました。

現在は店舗用什器の安いネット通販業者などもたくさんありますが、当時は恐らく限られた専門の業者さんに頼むしか手段はなかったのでしょう。
もちろん当時の僕にそういう専門の業者とお付き合いがあるわけもなく、しかたなく本社の担当上司であるS課長に相談しみました。

僕が高松店に転勤してから半月くらい経った頃ですので、S課長は「そうやな。近いうちにそっちに様子見に行くからその時相談しよか」と言ってくれました。

たとえ会社の上司と言えど、全く知人のいない土地に暮らしていると、そういう「上司の訪問」すら楽しみなものです。
僕は友達の来訪を迎えるような気持ちでS課長を迎えました。
(なんだか書いていて当時の自分が可哀相すぎて涙が出てきましたwww)。

S課長はお店をざっと見渡すと「おぉ!結構雰囲気変わったな。頑張ってるやんか」と言ってくれ、僕は素直に嬉しくなりました。

什器に関しては何か新しい物でも買ってくれるのかと思いきや、「二階に何か余ってる棚があるやろ?」と僕を伴って二階の倉庫へと上がりました。
倉庫にはもう使われていない棚が幾つもありましたが、どれもこれも「いかにも倉庫の棚」然としたグレーの実用一点張りのもので、オシャレさの欠片もありません。
そもそもがお店で使うには寸法が高すぎます。

S課長は「金属用のノコギリを二つ買っておいで」と、近所の金物屋に僕を買い物にやると、その棚をお店に下ろしました。
そしてノコギリをひとつ僕に渡すと「お店で使える高さに切って使おうや」とやおらギコギコと切断しだしたのです。

「昔はどこの店でもこんな風に『ある物』を使って工夫したもんや」と、S課長の色々な思い出話を聞きながら僕らは作業をしました。
しかしS課長は僕が切った切断面を見ると呆れ返り、「お前・・・本当に不器用やなぁ」と笑いました。
S課長の切ったところは鮮やかな直線で、僕の作業したところは無残なまでにガッタガタだったのです。

それでもS課長はその棚に商品を載せると、「色がやっぱりグレーのままっちゅーのはあかんな。藤森クン今度自分で塗り替えや」と言うと汗を拭いました。

このように「なにごとにも自分で考えて工夫する」のはクシタニの(少なくとも大阪では)社風で、とりわけお店のスタッフにはそれが求められました。
当時は会社にも資金はそれなりに(あくまでも「それなりに」)潤沢だったと思われますので新しい什器を購入するくらい何の問題もなかったのでしょうけど、S課長は身をもってそういう姿勢を僕に教えてくれたのでしょう。

その晩S課長は僕の住居でもあるお店の二階に泊まっていきましたが、その間に色々な話をしてくれました。プライベートな話もしました。
正直本社に居る間はただ厳しくとっつきにくい上司だと感じていたS課長ですが、なんとなくその時初めて僕に対して「一人前までいかなくても半人前くらいのスタッフ」として接してくれた気がしたものです。

それから僕はちょっとづつお店の什器類を自作し始めました。

ホームセンターで丸太と板を買ってきてちょっとウッディな棚を作ったりもしましたが、相変わらず極度に不器用な僕の作ったそれはあまりに強度と仕上がりの美しさに欠けていました。

例の歓送迎会の時に僕に素っ気ない態度だった常連さんたちもさすがに見かねたのでしょう。
「お前・・・なんだこれ?ガタガタやな。端材か何かないのか?」と聞くと、余った板きれなどを使ってあっという間に補強を施してしまいました。

S課長からの宿題であった棚の塗装も、お店の外でペタペタと刷毛塗りしている時に女性の常連さんがやってきて、「あんた・・いっつも何かやってるなぁ・・・」と言いながら僕の手元を覗き込み、「しっかしヘッタくそやな」と笑うと自分も刷毛を手に取り手伝ってくれました。

こうして常連さんたちともちょっとづつではありますが距離が縮まってきました。
人と人とが分かり合うためには、不容易に近づこうとすることよりも、「今自分が自分のポジションでやるべきことをこつこつやる」ことが一番の近道であることを僕はその時に学びました。
そうすれば誰かがそれを見て手を差し伸べてくれます。そして、そこで生まれた関係はそんなに簡単に壊れないことも同時に知りました。

僕が高松店に赴任したのが7月の上旬のことでしたので、翌8月が赴任して初めての「直営店としての通しの月」だったのですが、僕はその月に何とか前年売上をクリアすることが出来ました。幸先のいいスタートです。
しかしこれは僕の能力や努力とは全く無関係です。
ナゼならばその売上の半分以上は、僕の赴任以前に前任のK店長が受注したオーダーや注文品だったからです。

成績が出てから程なく、僕に転勤を命じた専務から直接電話がありました。専務が一店舗に直接電話をかけるというのは結構異例のことでした。

専務は言いました。「藤森クン。前年クリアやな。カッコええな」

僕はしどろもどろになって「いや・・これはK店長が・・・」と言い訳するのを遮るように専務は「何言ってんねん!そこは『はい!頑張りました!』と胸張らんかい」と笑いました。

どんな環境であっても、人は「自分をちゃんと見ててくれる人がいる」というだけで頑張れるものなんだ。
これも僕がその時に学んだ忘れ得ぬ教訓のひとつです。

こうして僕は本格的に「高松店店長(代理だけどw)」としての日々を始動させたのです。