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うどんの国の青春編 その5 「明烏」
当時関西の直営店を統括していた責任者にS課長という方がおられまして、とりあえずの僕の「直属の上司」に当るのはこのS課長でした。

S課長は面倒見のいい人で、時折僕のところへ様子見の電話などをかけてきてくれてたのですが、僕はある時「常連さんとの付き合い方」について、現時点での状況なども加味しつつ相談してみました。

S課長は現場での経験も長いベテランでしたので、散々こういうケースは見聞していたでしょうし、自身でも経験されていたのでしょう。

「あんまり気にすることないで」と気軽な調子で言ってくれました。

今とは違い店舗間の転勤も多かった頃ですので、「店長が変わると、その店長に付いていたお客さんが離れていってしまう」という悩みは多くの店舗が抱えていた問題でもあったのです。

「どこの店でもあることやしな。特にKクンはその店長かったやろ?長くその店にいる店長の場合、付いてるお客さんは半ば友達になってしまってるからなぁ。しゃーないで。まぁそのまま来てくれるお客さんは大事にして、来てくれなくなったお客さんのことはそんなに深刻に考えず、その分キミが新しいお客さん増やしていったらええねん」

よく「サラリーマンは上司次第」なんてことを言いますけど、僕のこの駆け出しの時代、上司や周囲の人には非常に恵まれていたと言えますね。

僕はS課長のアドバイスに心が軽くなる思いがしたものでした。


しかしありがたいことに、世の中の人間の集団の中には必ず「物事をあまり深く考えないタイプの人間」が一定の割合で配置されているものです。

高松店の常連さんの中ではNさんという人がその役まわりでした。

Nさんは市役所に勤務する公務員だったのですが、とにかく立ち振る舞い全てが軽く、他の常連さんが僕のことをどう思ってるか?なんてことにはまるで無関心なようで、例の送別会の時も「おお〜キミが新しい店長??よろしくねー!」なんて非常に調子よく挨拶をしてくれるような人でした。

確か年齢は僕よりも一つか二つ上だったはずです。

そのNさんが送別会から数日経ってお店に遊びに来てくれました。
Nさんは「おーっす!」なんて言いながらお店に入ってきたかと思うと、僕のパーソナルな部分への質問を交えながらも、とにかく一人で喋り続けました。

「フジモリ君高松は初めてなんだよね?ふ〜〜ん。そうか〜。高松は田舎だけど案外夜の飲み屋街が賑やかだからね。店終わったら遊びに行くといいよ。でもね〜、結構この街はヤクザも多いから気をつけなよ〜。今は堅気でも昔はヤクザみたいな人も多いからね。ほら、この町にはうどん屋さんが多いじゃん?今度店先でうどん打ってる人の手元をよ〜〜っく見てごらん。小指無い人が多いからハッハッハー!ホントだよ」

とかまぁ、そんなホントだかウソだか分からない話を喋り続けます(笑)。

今思えば、このNさんも常連さんの中では一番若く、その分他の人の扱いも軽かったのでしょう。
新任の、自分よりもちょっと若い店長に少しだけ兄貴風を吹かせたかったのかもしれません。

しかしNさんには何の悪意もありませんし、実を言うと僕はこういう「あまり何も考えていなさそうな軽い人」が嫌いではありませんので(むしろ大好きwww)、Nさんが「フジモリ君今度飲みに行こう!明日・・いや今日でもいいぞ!」なんて誘いに嬉しく応じたのでした。

とにかく、高松店の常連さんの中で一番最初に僕に優しくしてくれたのはこのNさんなのです。

さて、それから何日後だったかは忘れてしまいましたが、お店を閉めた後に僕はNさんの誘いに応じて高松の飲み屋街へと出かけていきました。

最初はごく普通の居酒屋に腰を据えます。

例の如くNさんは調子よくバカ話しを続け、僕もNさんにはかなり打ち解けてきていましたので、自分の学生時代の経験談なんかも面白おかしく語り、それなりに盛り上がった飲み会となりました。

お互いにちょっと気分よく酔いが回ったところでNさんが「よし!二軒目は女の子のいるところ行こう!嫌いじゃないだろ?」と笑いかけてきました。

「嫌いじゃないだろ?」とか言われても、僕は「女の子のいる飲み屋」というものの経験がほとんどありません(未だにほとんどないw)。
もちろん女の子は嫌いじゃありませんが(笑)、僕は勝手が分からず「ええ・・まぁ」と曖昧に頷きました。

しかしNさんは僕の様子にはまるで頓着することなく「よーっし!行くぞ」と嬉しげに飲み屋街の中をずんずん進んでいきます。

Nさんは「ここはオレに任せろ」的な自信に満ちていましたし、僕もそれなりに酔って気分がよくなっていましたので大人しく後に従いました。

Nさんはもう行き慣れているらしく、迷うことなく路地を縫っていくと一軒の店の前に立ち「ここに入るぞ」とニヤリとすると先にドアを開けて入っていきました。

僕はあわてて後を追いましたが、それにしても怪しげな雰囲気のプンプン漂うお店です。
場所は、路地を折れ曲がった先のさらに奥の細い路地に面していましたし、看板も電飾が切れ掛かっているらしく、チカチカと明滅を繰り返していて店名も判然としません。
そのくせ店の前は黒服の兄ちゃんが待ち構えていて、僕らを店に押し込みながら「二名様ご案内〜」とか店の奥に叫びかけています。

店に入ると、饐えたような匂いがムッと僕らを包みましたが、それよりも戸惑ったのはその薄暗さです。店内の様子がほとんど分かりません。

なにこれ?飲み屋??カウンターもテーブルも見当たらないじゃん?

しかしNさんは慣れてる様子で、黒服のお兄ちゃんに「二人ね。若い子見繕ってよ」とか話しかけ、その耳元に何やらコソコソと囁いています。

僕は勝手が分からず、薄暗闇の中をキョロキョロしていると、「いらっしゃーい」と二人の女性の声がしました。

そのうちの一人がさっさとNさんの腕を取ると、店の奥へと引っ張っていきます。

Nさんは僕を振り返ると「いいか?遠慮すんなよ。相手の女の子が気に入らなければ代えてもらえ。何度でもな」とか自信たっぷりに言い放ちました。

「え??なになに??」と様子が分からずに戸惑う僕はまるで落語の「明鳥」に出てくる若旦那そのものです。

するともう一人の「女の子」が僕の手を取ると「いらっしゃ〜い、はいお兄さんはこっちね〜」と野太い声で僕を横のスペースへと誘導しました。

その頃には多少暗闇に目が慣れてきていたのですが、どうやらその店内はカーテンで幾つかのスペースに区切られていて、Nさんはその奥の方のスペースへ消えていったようです。

僕は入り口の横の仕切りの中へと誘導されましたが、相変わらずその中も薄暗く、テーブル一個と二人架けのソファーがギリギリ入るくらいの狭いスペースだということだけかろうじて分かりました。

テーブルの上には小さな照明が置かれ、水割りを作るためのアイスペールとグラスを照らしています。

僕をソファーに座らせた女性は、「水割りでいい?」と相変わらず野太い声で聞いてきました。

「え?あぁ・・・はい」

と答えながら、僕は背中にジンワリと汗をかいてきました。
ここが「ただの飲み屋ではない」ということに僕はその辺でようやく気がついてきたのです。

「はい。水割り」とグラスを僕の前に置いた女性は「お兄さん大人しいのね〜」とネットリと酒臭い息を吐き出しました。

多少冷静さと視力を取り戻しつつあった僕は相手の女性の様子をそこであらためて凝視してみたのですが、どう贔屓目に見ても「女の子」と呼べる年齢層には所属していなさそうです。

オバサン・・・??って言うかお婆さん??

テーブルの上の仄かな灯りが、彼女の頬や目尻にくっきりと刻まれた深い皺を照らし出しています。

なにしろ薄暗いので定かではありませんが、どうもそのしわがれた声を聞いていると、この目の前にいる女性が自分の母親よりも年上なんじゃないか?という疑いを捨て切れません。
やっぱり「年齢」というのは、どんなに視界を遮られてても完全にその気配を遮蔽することは出来ないもののようです。

そしてそのお婆さんに限りなく近いと思われるオバサンは、ムッチリとした太ももを僕の腿に密着させてきて「お兄さんどこの人なのぉ?」とガラガラ声で聞いてきます。

太ももにもジワッと汗。

僕はその辺で「脱出」の機会を窺いはじめました。

僕は常々お年寄りには優しくありたいと思ってはいましたが、それは「そのお年寄りが僕の太ももをまさぐったりしない」場合に限られます。

それでも水割りを一杯飲む程度の時間は辛抱していました。
相変わらずネットリとしたガラガラ声wwが僕の耳に吐息と共に絡みつきます。

そして「ねぇお兄さ〜ん」と分厚くしわがれた掌が僕のモモ上半分をさ迷いだした時に僕の限界は訪れました。

「ちょっっ・・・スイマセンッ」とその手を避けると、僕はそのカーテンで仕切られたスペースから飛び出しました。
そして先ほどNさんが吸い込まれていったスペースのカーテンをシャッと開け、上ずる声で言いました。

「え・・え・・・Nさん!! か・・・か・・・帰りましょうよ!!」

しかしNさんは「ヒィッッ!!ど・ど・ど・どどーしたのお前」と頭のテッペンから甲高い声をあげて狼狽しています。

目線を下げると、どーいうわけかwwwNさんのジーパンはもう膝まで降ろされています。

 「ギョッ!!」(←ここでようやくこの店の「システム」を理解www)

しかし、その驚きもNさんの隣に座る女性を見た時に軽い怒りにも似た感情へと変わりました。
Nさんの隣に座っていたのは、明らかに20代前半の可愛らしい女性です。

こ・・・このオッサン、さっき店に入った時に店員の兄ちゃんに何か耳打ちしてたけど、自分だけはチャッカリお目当ての女の子を指名してたってことか!

しかもこのスペース、明らかにオレがいたところよりも明るいじゃん。
何か意図的としか思えないwwww

「明鳥」とは真逆の展開です(笑)。

「か・・帰るの?どうした??女の子が気に入らないか?」
「いや、そーいう問題以前にこういう店はちょっと・・・」

「え?・・あ・・そうか・・」とNさんはまだジーパンを膝まで降ろしたまま逡巡しています。

しかしここまで散々「ここはオレに任せておけ」的な、先輩風バンバンの態度で終始リードしてきた手前、「いや〜お前だけ先に帰って・・」とは言い難かったのでしょう。
僕の決意が固いと見て取ったNさんは、明らかに未練タップリといった感じでノロノロとジーパンを穿き直し、「わかった・・・帰ろう・・」と店の出口へと向かいました。

しかし、Nさんがここで言った一言はさらに僕を驚愕させました。

「フ・・・フジモリ君・・・・悪ィ・・金・・・貸してくんない?」

はぁ??
自分からこの店誘っておいて、その上自分だけは若くて可愛い女の子指定しておいて(こだわるwww)、金持ってないだと〜〜〜????

さすがに呆れましたが、ここで押し問答している状況ではありません。
「お金がありません」なんて言おうもんなら、さっきのお兄さんに何処に連れて行かれちゃうのか分かったもんじゃありません。

何せうどん屋さんまで小指が無いような土地柄なのです(笑)。

僕とてあまり現金は持ち合わせていませんでしたので、しかたがなく二人分の料金をカードで支払いします。
細かな金額までは憶えていませんが、それは明らかに当時のクシタニレーシンググローブのフラッグシップモデル「K−816R」が二艘は買える値段でした。

店を出た後はさすがにNさんもバツが悪そうで、「今度給料日になったら返すから・・」と謝ってきました。しかし実際のところ、僕は呆れてはいましたけど、特に怒ってはいませんでした。

とにかく僕はその異空間から脱出出来たことでホッとしていましたし、それよりも何よりも、この適当なのか抜け目がないのか分からないNさんという人の軽さにちょっと感心すらしていたのです。

僕は「いいですよ別に」と素っ気無く答えながらも内心「う〜む・・・この出来事をタダで済ましてしまうのは勿体無さ過ぎるだろう」とこみ上げる笑いを噛み殺しました。


さて、Nさんにとって実に不幸なことが二つありました。

一つは僕の口がそれはもう異常なまでに軽かったこと。

そして二つ目は、僕は子供の頃から「勉強もスポーツもダメ」な取り得のない男でしたが、唯一「実際に起こったことを、適当に脚色しながら面白おかしく人に話す才能」だけは人よりも長けていたことです。(名東店のお客さんも気をつけてくださいwww)

僕はその後、たま〜に訪れる常連さんを捉まえ「ちょっと聞いて下さいよぉ!Nさんとこないだ飲みに行ったんですけどね・・・」と、この顛末を面白おかしく語って聞かせました。

そして繰り返し話すたびに話しがちょっとづつ脚色されていくのを充分に自覚していました。

恐らくこの話しは、常連さんから他の常連さんへと語られていったことでしょう。
そしてその度に相当尾ひれが付いていったであろうことは充分予想されます。

「Nのヤツ最後はパンツまで脱いでたらしいぜ」くらいにはなってかもしれません(笑)。

しばらくしてNさんがゲッソリした顔でやってきました。
僕は知らん顔で「こないだはどうも〜」みたいに白々しく挨拶します。

「フジモリ君・・・勘弁してよぉ」というNさんに僕はシレッとして言いました。

「そんなことより早く金返してくださいよぉ」

ニヤニヤする僕にNさんは「あ・・・ゴメン・・給料日までもうちょっと待って」と急に潮らしくなります。

僕はそんなNさんを見ていたら可笑しくなって「ヘッヘッヘヘ」と笑いました。
Nさんも照れて「エヘヘ」と笑っています。

さすがにもう怪しげな店には行きませんでしたが、その後も二人でちょくちょく飲みに行っていたと思います。

こうして僕は高松に来て最初の「お友達っぽいヒト」ができたのでした。