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うどんの国の青春編 その1 「辞令」
昔ァもうフランチャイズ店のオーナーなんてぇいったらもう大層威厳あったもんでぇございます。

会議の席なんかでも、やってくるのは直営の店長なんかよりもちょっと遅めでね。
「やあやあ遅くなりまして」なんて口では言いながらも、全く悪びれる様子もなくどーんと席に着きますってぇと、ピーンとこう空気が締まった感じなんかがいたしましてね。
私も若い時分には随分と緊張したもんです。

夜の宴席では、オーナーさんの席に私ら新人がお酌に回りますってぇと、「お、お前のグラスはどうした?」なんていっていちいち飲まされるもんだから、もう会場を一周するころには足腰も立たないくらいにヘベレケに酔っ払っちまいまして、たまらずトイレに駆け込んでゲーゲー吐いておりますってぇと、隣の個室でも同じようにゲーゲーやってんのがおりまして、これが同期入社の新人ですよ。

二人で真っ青な顔して意気消沈しておりますと、オーナーのご機嫌伺いが使命かのように右往左往してる腰巾着みたいな上司がやってまいりまして、「お前ら何やってんだ。さっさと席に戻ってオーナーさんたちにまたお酌してまわらんか」なんて首根っこ捕まれて引き戻されるわけです。

私らは二人で洗面所でうがいしながら「堪らんなァ」なんて溜め息ついたもんでございます。


それがどうですか。

自分がオーナーになってみれば、これがまた扱いが存外軽いこと。

展示会なんかに顔出しましても「ああどうも」なんつって和やかなもんですよ。
逆に私の方が「皆さん缶コーヒーでも買いに行きましょうか?え?○○さんはブラック?△△さんは微糖でね。へい承知しやした」なんて尻ぃからげて使い走ったりなんかして、これじゃあどっちが来賓か分かりゃしません。

まあ会社の若い衆の間じゃあ、私ゃ嫌がる女子社員を追い掛け回して写真撮ったりしてるストーカーオヤジ程度にしか写っておりませんようで、まあそこんところは当らずも遠からずってところで・・ヘヘ、お恥ずかしい限りなんでございますが、まあどちらにしても若い連中に対してどーも威厳がなくっていけませんや。

お前さん達そーやってね。アタシを軽く見るけどワタシはワタシで若い頃それなりに苦労してんのを知らねぇのかい?

ああそうかい?知らない?

そんじゃあちょっくら語ってみようかね?

言っとくがアタシは話が長いよ。そこんとこよ〜〜く覚悟しておくんなさいよ。


てなわけでお話は24年前に遡ります。

まあこの時期ネタがないので、こんな昔話にお付き合いくだされ。

24年前ですよ。1988年のことです。
その年に僕は株式会社クシタニに入社しました。

言っておきますが、僕は大学に貼ってあった求人票を見て、ちゃーんと入社試験というのを受けて入社しております。
それ以前(またはそれ以後)のスタッフが割りと「常連からいつの間にか・・」みたいな曖昧な境目で社員になっているのに比べれば、かなりちゃんとした手順を踏んで入社しているわけです。

その頃は、いわゆる「バイクブーム」というのはもうピークを幾分か過ぎ多少翳りも見え始めた時分ではありましたが、今日的な目線で見ればまだ充分ブームの渦中にあったと言っても間違いはないでしょう。
世の中もまさにバブル前夜でありましたし、我がクシタニも東京・浜松・大阪の社員数を合わせれば総勢200名近い大所帯になっていました。

そんな渦中に入社した僕は、まずは大阪本社で様々な研修を受けたわけですが、研修中のことはまあ割愛しましょう。
その間も「世間知らずの若造」のやることにしても目を覆わんばかりの失敗を多々するわけですが、そのオハナシはまた機会があれば。

通常新人の研修というのは3ヶ月で大体一区切りつくものです。

僕も本社勤務の間に、出荷業務や内勤での事務処理、本社ビルの一階にありました当時の箕面店などで一通りの研修を受けていたわけですが、7月に入ったばかりのある朝、社長室に同期入社のSクンとともに呼ばれました。

それはまさに「突如」とも言うべきタイミングでした。
内示も何も全く受けていなかったですから。

社長室のソファーで目の前に座っている専務はニコニコと笑って「配属が決定しました」とまるでその日の昼飯のメニューを発表するかのように何気ない口調で言いました。


「藤森クンは高松店に行ってもらいます」

タカマツ?タカマツって何処だっけ?

ああ・・四国か。四国ね。

し・・・四国・・・え??四国??

でも高松店ってフランチャイズ店じゃなかったっけ?
メーカーの社員が、別にオーナーさんのいるフランチャイズ店のスタッフになるということは通常あり得ません。

僕のその疑問を読んでいたかのように専務が続けます。

「あんな。あそこの店のオーナーさんは高松店の他に幾つかクシタニショップ経営してはんねんけどな。高松店の売上げが芳しくないので手放さはんねん。でも四国には他にクシタニショップないやろ?閉店するわけにいかへんやん。そんで本社の方でその後の面倒は見ましょう、誰か本社から人やりましょうってことになったわけやな」

「って・・・ことは・・直営店になるってことですか?」

「そう。そういうわけ」

「え・・・と・・あのー??で、店長は誰が・・??」

「君や」

はぁ!??
僕まだ入社して3ヶ月ですよ。
しかも僕は当初内勤希望だったので、お店での研修なんてまだ一ヶ月も受けていません。

接客の「せ」の字も知らなければ商品知識だって相当怪しい。
それにオーダーや複雑な修理のための知識や採寸技術もまだちゃんと習っていません。
店長ともなれば経理的な知識も必要になってくるでしょう。

「大丈夫や!やってればなんとかなるって!!」

な・・何を根拠に言ってるんだこのヒトは!??

「えーーーっと・・で?いつから勤務すれば」

「出来れば明後日や・・まあ準備の都合で2〜3日延びてもええけどな」と専務はまたニコニコ。
ウチの会社は一事が万事この調子です。

そして「大丈夫!お店の二階が住居になってるからそこに住んだらええやん。家賃はいらんで。布団とかその他家財道具は一通りそろってるから」と続けました。

突然のことに全くワケが分からず釈然としない表情の僕に専務が畳み掛けるようにこう言います。

「あんな。キミしかいないんや!」

どんな世間知らずの新人でも、こう言われればなんとなく奮い立ちます。
「そうか。オレしかいないのか・・そこまで言われるなら・・・」とかその気になりかけたところで(←バカですねwww)専務は「後の詳しい段取りはYクン(当時の箕面店店長)と相談して」と話を切り上げました。

そうやって社長室を辞したところで、その当のY店長がオフィスへ上がってきます。
それを見つけた専務は「ああY君、いいところに来た。藤森クンは高松店に行ってもらうことになったから」と告げます。

え??何??まだY店長にも知らされてなかったの?? 僕は驚きました。

しかしもっと驚いたのはY店長です。
日々僕を指導する中で、僕がまだいかにショップスタッフとしては半人前以下なのか?ってことを一番よく知っています。

顔色をサッと変えたY店長は「専務・・あの・・・ちょっとお話が・・」と専務を捕まえると、二人で社長室に籠もって長い間出てきませんでした。

多分Y店長は専務に「ちょwwwあいつに一店舗任すなんて無理ですって!!あいつまだ何にも知りませんよ!」とか忠告してるんでしょう。
(何年後かに聞いてみたら本当にその通りでしたwwww)

どうやら僕の高松行きは社長と専務だけの専制人事だったようです。

この専務は僕が地方を転々としている間に退職してしまわれましたので、今もってナゼそんな無茶な人事を敢行したのか謎のままです。

しかしまぁ沖田浩之の歌じゃありませんがウワサは光の速さよりも早いものです。

その日から色々な先輩から内線電話がかかってきました。

「聞いたで。藤森クン・・・高松行くんやって?・・・そうか・・・ゴメンな・・その話オレのところにもきたんやけどな、オレ断ってん。そんでキミんところにお鉢が回ったんやろうな。堪忍してや」

2〜3人の先輩からそんな電話を貰ったと思います。

そうか。

専務が「キミしかいない」って言った意味は、「出来るのがキミしかいない」という「選ばれたキミ『しか』」ではなく、皆に断られて最後どうしようもなく回ってきた「残されたキミ『しか』」だったのか・・・

そのことに気がついたのは高松行きを翌日に控えた午後なのでありました。
24年前。奇しくも僕が24歳になろうとしていた頃のお話です。